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トラヴィス・ペインが振り付けたジャニーズのタレントは?タッキーや山Pにも影響与えた。

アメリカ出身の世界的振付師・ダンサーの「トラヴィス・ペイン(Travis Payne)」さんをご存知でしょうか。

「Travis 」ってどこかで聞いた事ある名前だと思いませんか?

そうです。あの人気アイドルグループ「Travis Japan」の「Travis」は彼の名前から来ています。

では、この「トラヴィス・ペイン(Travis Payne)」さんが手掛けた過去の担当したジャニーズはどのくらい居るのでしょうか?

調査したので、ぜひ最後までご覧ください!

「トラヴィス・ペイン」プロフィール

 1971年7月5日生まれ、アメリカアトランタ出身の振付師、ダンサー、ディレクター、プロデューサーなど、幅広く活躍。マイケル・ジャクソンの右腕として20年間担当してきた天才振付師。マドンナやレディ・ガガのような有名アーティストからも信頼が厚く、数多くの振付・指導など行っている。高校生から日本と縁があり、2013年よりSTARTO ENTERTAINMENT(旧ジャニーズ事務所)と契約している。

トラヴィス・ペインとジャニーズ事務所の繋がり

トラヴィス・ペインは、日本でも積極的に活動しており、ジャニー喜多川氏は、トラヴィス・ペインの才能に注目していました。

2000年代初頭頃、ジャニー喜多川氏は、トラヴィス・ペインにジャニーズJr.のグループの育成と振り付けを依頼するのです。

ジャニーズ事務所の繋がり

・ジャニーズ事務所と仕事をするようになったきっかけは、「少年隊」

・トラヴィスは「ジャニーズのタレントたちは努力家で、才能にあふれている」と称賛。

・2013年よりSTARTO ENTERTAINMENT(旧ジャニーズ事務所)と正式契約し、ステイシー・ウォーカーと共に多くの舞台の振付を担当。

繋がりのきっかけは「少年隊」

ジャニーズ事務所と仕事をするようになったきっかけとして、トラヴィス・ペインは下記のように話しています。

彼ら(少年隊)が、ジャニーズ事務所との仕事を可能にしてくれたんです。
ジャニーさんが、アメリカの振付師マイケル・ピータースが私に本当に影響力を及ぼした人物だという事を知っていて、また振り付けをしてくれと、新しいアーティスト達とコラボレーションしてくれと言われた事は光栄でした。
東山さんとはいつも会うと楽しいんです。

マイケル・ピータースとは、少年隊ミュージカル「PLAYZONE」シリーズの第1回上演に際して、振付を担当した人物。

マイケル・ピータースに信頼をおいていたジャニー喜多川氏は、彼の意志を継いでいるトラヴィス・ペインに依頼したというわけです。

トラヴィス・ペインがジャニーズと関わるきっかけとなった少年隊ミュージカル「PLAYZONE」シリーズは、1986年から2008年まで毎年演じられていましたが、トラヴィス・ペインは、1999年公演から振付を担当。

それ以降、主演の少年隊から今井翼に世代交代された後の「PLAYZONE」やジャニーズ事務所の数多くの振付・演出・指導を担当し、大きく貢献しています。

2013年までは、不定期に日本を訪れ、ジャニーズ関連のプロジェクトに関与していたトラヴィス・ペインですが、

2013年よりSTARTO ENTERTAINMENT(旧ジャニーズ事務所)と正式契約し、ステイシー・ウォーカーと共に多くの舞台の振付を担当しました。

マイケル・ピータース

アメリカの振付師の中でも偉大な人物。 マイケル・ジャクソンの「スリラー」「今夜はビート・イット」などの振付師として知られる。少年隊ミュージカル「PLAYZONE」シリーズの第1回上演に際して、振付を担当。1994年、ロサンゼルスでエイズにより死亡。46歳だった。

ジャニーズ事務所への想い

トラヴィス・ペインがジャニーズ事務所と関わりを持つようになった2000年代初頭から、数多くのジャニーズタレント達が、彼に信頼をおいていました。

彼のダンススタイルと演出力は、ジャニーズ所属タレントのパフォーマンスを世界レベルに引き上げるために非常に重宝されたのです。

トラヴィスは「ジャニーズのタレントたちは努力家で、才能にあふれている」と称賛しています。

彼は、伝統を尊重しつつ、グローバルな視点を導入する為、マイケル・ジャクソンとの経験を活かし、日本のアーティストに世界レベルの舞台表現を提供しました。

トラヴィス・ペインが担当したジャニーズタレント

担当した主なジャニーズタレント

少年隊
– 1999年頃~ミュージカル「PLAYZONE」などで振付を担当。

SMAP
-2009年の第60回紅白歌合戦で、マイケル・ジャクソンの追悼スペシャルメドレーの振付を担当。

今井翼
-2010年頃~ ミュージカル「PLAYZONE」などで振付を担当。

滝沢秀明
– 「滝沢演舞城」の振付師・演出協力

KinKi Kids
– 互いに高くリスペクトし、「Endless SHOCK」の演出に影響。

山下智久
– ソロシングル「One in a Million」MVの振付およびステージ演出をトラヴィスが担当

Kis-My-Ft2
– デビュー直前(2010〜2011年頃)のKis-My-Ft2のパフォーマンス指導。

Hey! Say! JUMP
– 演出面で指導。

A.B.C-Z
– アクロバティックな要素を含むステージ演出で関与。

Travis Japan
– グループ名の由来でもあり、振付・ダンス指導を長年担当。
– パフォーマンスの基礎から演出面でも関与。

ジャニーズJr.全般
– 特に2000年代初頭から中盤にかけて、ジャニー喜多川氏の要請で多くのJr.ユニットに関わる。

少年隊

トラヴィス・ペインは、1999年から少年隊のミュージカル「PLAYZONE」などで振付を担当。

このミュージカルがきっかけで、トラヴィス・ペインは、数々のジャニーズの振付指導や演出に関わっていくのです。

少年隊は“日本のトラヴィス的演出”の原型を担っていた先駆者とも言われています。

プライベートでは、東山紀之と仲が良いそうです。

SMAP

2009年の第60回紅白歌合戦で、SMAPは親交のあったマイケル・ジャクソンの追悼スペシャルメドレーを6曲も披露しました。

この時、振付を担当したのが、トラヴィス・ペインでした。

マイケルばりの独創的なダンスで、最後はメンバー全員がマイケルになり、とても話題になりました。

今井翼

2010年から、少年隊のミュージカル「PLAYZONE」が今井翼に引き継がれています。

この振付指導は、引き続きトラヴィス・ペインが担当。

そのタイミングで、日本に来ていたトラヴィス・ペインは「徹子の部屋」に出演。

今井翼の「PLAYZONE」を宣伝していました。

滝沢秀明

トラヴィス・ペインは、2006年~2010年頃にかけてタッキー主演「滝沢演舞城」の振付師・演出協力として参加。

特に、忍者や殺陣(たて)とダンスを組み合わせたシーンで、彼の演出力が際立っています。

特徴的な演出例として、

  • 忍者アクション+ストンプ風のダンス
  • LEDライトや映像投影と連動したパフォーマンス
  • 時代劇とアメリカンストリートダンスのミックス(和洋折衷)

トラヴィスが得意とする構成が日本舞台に輸入され、日本の伝統とポップカルチャーを融合させた新しいステージ演出が、タレントや観客に新鮮な印象を与えました。

タッキーは、トラヴィスに教えてもらった経験を糧にして、後に自身も演出家としての才能を開花させたのです。

滝沢演舞城

滝沢秀明が主演・プロデュースした時代劇風ミュージカル。毎年春に新橋演舞場で開催され、伝統芸能とジャニーズのエンタメが融合した舞台。

KinKi Kids

トラヴィス・ペインとKinKi Kidsは、直接的なコラボは少ないですが、お互いに高くリスペクトをしているといいます。

トラヴィスとジャニー喜多川氏の交流の中で、KinKi Kidsを「表現力のあるステージアーティスト」として評価していたそうです。

堂本光一の舞台「Endless SHOCK」では、マイケル・ジャクソン風のダンスや照明演出など参考にしており、トラヴィスにも相談していたようです。

トラヴィス自身がSHOCKの観劇をした時、「完成度が高い」「ブロードウェイに通じる」とコメントしており、

今では個人的に連絡を取り合うほど仲良しだそうです。

堂本剛の音楽プロジェクトにも共鳴をしていて、剛が展開する「FUNK」や「精神性の高い表現」は、トラヴィスが尊重する「ダンスは物語と魂」という哲学に非常に近いものだと感じたようです。

山下智久

ソロ活動をしていた山Pの海外志向プロジェクトにおいて、トラヴィス・ペインは振付や演出を担当していました。

2010年にリリースされた山Pのソロシングル「One in a Million」は、海外進出を意識した曲だった事から、MVの振付およびステージ演出をトラヴィスが担当する事に。

スタイリッシュでクールなカッコいいダンスを山Pに直接指導しました。

特徴的な演出例として、

  • マイケル・ジャクソン的なムーブ(アイソレーション、ムーンウォーク風動作など)
  • ダンサーとのシンクロを重視した群舞構成
  • 海外MV風のカメラワークと照明効果

その結果、国内外のファンから「まるで海外アーティストのよう」と評価され、山P自身も「グローバルアーティストとして成長する第一歩になった」と語っています。

Kis-My-Ft2

トラヴィス・ペインは、デビュー直前(2010〜2011年頃)のKis-My-Ft2のパフォーマンス強化の為に、アメリカンスタイルのダンス要素を導入し、指導していました。

トラヴィスはメンバーに対して、シンクロ精度・重心のコントロール・身体表現の多様性を指導し、ローラースケートを使いながらも「重さとスピード感のバランス」を重視した振付を伝授します。

初期のKis-My-Ft2のライブパフォーマンス(例:東京ドームでのデビュー公演)では、海外スタイルの振付が導入され、ファンからは「これまでのJr.とは違うクオリティ」として注目されたのです。

Hey! Say! JUMP

トラヴィス・ペインがHey! Say! JUMP に直接振付することは少なかったようですが、ジャニー喜多川氏の依頼により、演出面でのアドバイスを複数回行ったそうです。

アドバイスの内容は、「Hey! Say! JUMPのように若手でビジュアルが強いグループには、もっと映像効果やストーリー性を加えるべき」と提言。

特に『SUMMARY』などのショーで、フライングやLED演出、立体的な構成を推進したと言われています。

Hey! Say! JUMPの「Magic Power」や「ウィークエンダー」など、視覚効果を重視したコンサート演出の中に、トラヴィスの美意識が間接的に反映されています。

A.B.C-Z

トラヴィス・ペインは、ジャニー喜多川氏を通じて、A.B.C-Zの舞台で使われるブレイクダンスやエアリアル系演出について技術助言していたそうです。

A.B.C-Zはアクロバットを得意とするグループで、彼らの舞台(ABC座)は、ミュージカル+サーカス的要素が特徴です。

パフォーマンス構成に「テンポの緩急」「感情表現を強調する間」を取り入れるよう指導したとされています。

その結果、スポットライトを使ったソロダンス→全体合流といった演出が取り入れられ、よりシネマティックな構成に進化。

メンバーの五関晃一などは、後年トラヴィスの影響を公言しています。

ジャニーズJr.(当時のSnow Manなど)

トラヴィス・ペインは、2010年前後に行われたジャニーズJr.全体合宿での特別集中トレーニングも担当していました。

数日間、複数のJr.たち(当時のSnow Man、Travis Japanなど)を対象にダンス合宿を実施。

指導内容としては、

  • ボディコントロールの基本
  • リズム感と空間把握
  • 「感情を伝えるダンス」=表情・視線の演技

トラヴィス・ペインは、これからのJr.たちに伝説的な言葉を贈っています。

Just moving your body isn’t dancing. Dancing is storytelling.
(ただ体を動かすのがダンスじゃない。ダンスは物語だ。)

この言葉が、参加Jr.たちの間で語り継がれているそうです。

トラヴィス・ペインは「Travis Japan」生みの親

Travis Japan結成と育成

・2012年にトラヴィス・ペインがオーディションによって選抜のメンバーで「Travis Japan」を結成。

・トラヴィス・ペインに敬意を込めて彼の名前を由来とし「Travis Japan」と名付けた。

・シンクロ率の高いフォーメーションダンスと感情表現の豊かさを指導。

・2022年3月から米ロサンゼルス(LA)に留学し、2022年10月にデジタルシングル「JUST DANCE!」で全世界メジャーデビューを果たす。

「Travis Japan」名前の由来

2012年にトラヴィス・ペインがオーディションによって選抜のメンバーで結成された「Travis Japan」。

この「Travis Japan」の「Travis」はトラヴィス・ペインの名前が由来しています。

トラヴィス自身がメンバー選抜や育成に関与しており、グループ名にその敬意が込められているそうです。

トラヴィス・ペインが直接振付・指導に関わった数少ないグループとも言われています。

「Travis Japan」育成

トラヴィスは「全員が主役になるように」とグループ構成・フォーメーションを重視していました。

アメリカのダンスキャンプや特別トレーニングを提供したり、シンクロ率の高いフォーメーションダンス感情表現の豊かさを指導していたそうです。

「Travis Japan」は、トラヴィスのトレーニングと世界標準の振付スタイルが色濃く反映されたグループとして今も尚成長し続けています。

アメリカへ留学

「Travis Japan」は、結成から10年、シンクロ率の高い高度なダンスを武器に2022年3月から米ロサンゼルス(LA)に留学し、シェアハウスで共同生活しながら語学とパフォーマンスを磨きました。

渡米直後、様々な大会やオーディション番組に挑戦し、強豪ひしめく異国の地で存在感を放ちます。

その実力がアメリカで認められるようになり、2022年10月にデジタルシングル「JUST DANCE!」で全世界メジャーデビューを果たしました。

トラヴィスの教えが「グローバルで通用するパフォーマンス」に直結しているとメンバーが語っているように、

トラヴィスがメンバー選抜から指導・育成まで担ってきた「Travis Japan」は結成から約10年を経て、世界に通用するグループへと成長したのです。

日本の「アイドル文化」に感動

トラヴィス・ペインは、マイケル・ジャクソンのツアーで日本を訪れた際、日本のアイドル文化や規律にとても感動したと話しています。

お客さんが帰る時に、押し合いなどせずに静かにセクション毎にキチンと帰っていくっていうのが、「日本人っていいな」 と思ったそうです。

トラヴィス・ペインは、その時の経験を下記のように話しています。

いろんなコンサートで、本当に興奮が沸き立っていました。
でも日本では、興奮もあったけど規律もあったんです。 それは本当に私にとって記憶に残ることでした。
本当にお互い、もちろん楽しい時も過ごせるけれども、やはり道も安全だし、スタジオの中でも本当にお互いに理解があってお互いを尊重する・お行儀が良くて、本当に楽しめるけれども規律もあった。 キチンと規律が整っていて、それが伝統でした。
本当に素晴らしい、それが日本での経験でした。

まとめ

トラヴィス・ペインが振り付けたジャニーズのタレントは?まとめ

少年隊
– 1999年頃~ミュージカル「PLAYZONE」などで振付を担当。ジャニーズ事務所と仕事をするようになったきっかけとなった。

SMAP
-2009年の第60回紅白歌合戦で、マイケル・ジャクソンの追悼スペシャルメドレーの振付を担当。

今井翼
-2010年頃~ ミュージカル「PLAYZONE」などで振付を担当。

滝沢秀明
– 「滝沢演舞城」の振付師・演出協力

KinKi Kids
– 互いに高くリスペクトし、「Endless SHOCK」の演出に影響。

山下智久
– ソロシングル「One in a Million」MVの振付およびステージ演出をトラヴィスが担当

Kis-My-Ft2
– デビュー直前(2010〜2011年頃)のKis-My-Ft2のパフォーマンス指導。

Hey! Say! JUMP
– 演出面で指導。

A.B.C-Z
– アクロバティックな要素を含むステージ演出で関与。

Travis Japan
– グループ名の由来でもあり、振付・ダンス指導を長年担当。
– パフォーマンスの基礎から演出面でも関与。

ジャニーズJr.全般
– 特に2000年代初頭から中盤にかけて、ジャニー喜多川氏の要請で多くのJr.ユニットに関わる。

・トラヴィスは「ジャニーズのタレントたちは努力家で、才能にあふれている」と称賛。

・2013年よりSTARTO ENTERTAINMENT(旧ジャニーズ事務所)と正式契約し、ステイシー・ウォーカーと共に多くの舞台の振付を担当。

トラヴィス・ペインは、2000年初頭からジャニーズJr.全体合宿に参加している事から、他にも数々のタレントを指導したと思われます。

その中でも、Snow ManやSixTONES、キンプリもいたと思われます。

現在活躍中の多くのタレントが多大な影響を受けたのではないでしょうか。

トラヴィス・ペインは、アメリカで培った高度なショービジネスのノウハウを、ジャニーズ事務所を通して日本のアイドル業界に応用し、「本格的なダンス・パフォーマンスの導入」に大きく貢献したのです。

トラヴィス・ペインの詳細はこちらをクリック↓

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