韓国人気グループ 「KARA」のメンバーだったク・ハラさん。グループのビジュアル・リードボーカルとして2008年~2016年の解散まで活躍していました。
しかし、2019年11月24日に自らこの世を去り、人気絶頂だったク・ハラさんの死は日本でも衝撃的なニュースとなりました。
今回の記事では、ク・ハラさんがどんな家族とどんな幼少期を過ごしてきたのか調査しました。
ぜひ最後までご覧ください。
ク・ハラのプロフィール

名前:ク・ハラ
韓国表記:具荷拉(구하라)
英語表記:Goo Hara
生年月日:1991年1月13日(28歳没)
出身地:韓国・光州広域市西区
血液型:B型
身長:163cm
KARA加入:2008年、ソンヒ脱退後のオーディションに合格しジヨンとともに新メンバーとして加入。シングル「Rock U」から本格的に活動開始。
グループでの役割:「クールなお嬢様」「メインダンサー」「ビジュアル」「メインボーカル」など広範なポジションを務め、高い人気を誇る。
ソロ活動:2015年7月21日、ミニアルバム『Alohara (Can You Feel It?)』でソロデビュー。グループ解散後も女優やモデルとして活動を継続。
日本へ寄付:東日本大震災の被災地への支援として、1億ウォン(約720万円)を寄付。
ク・ハラの家族構成
母親:ク・ハラ9歳の時に家を出ていき、2006年で離婚、親権放棄。約17年間連絡なしだったが、亡き後に遺産を相続すると要求。
父親:母親が出て行った頃、自殺未遂。各地の工事現場で働き、生活が苦しい日々を過ごす。
兄(ク・ホイン):ク・ハラの2歳年上で現在37歳程。2018年3月3日に結婚、2020年8月10日に娘(5歳)が誕生。遺産相続で母親と対立した事で、扶養義務を果たさなかった親の相続権を剥奪する法案ク・ハラ法を2024年成立させた。
祖母・叔母家族:母親が出て行った後、育ててくれた。祖母は2011年に他界。
母親
ク・ハラさんの母親は、幼少期に家を出てから、6年後の2006年に離婚、親権を放棄しています。
ク・ハラさんが9歳、兄ク・ホインさんが11歳の時に家を出て行った為、母親との記憶や思い出は全くないと話しています。
養育放棄し、子供と関わろうとしなかった母親は、ク・ハラさんの死後、遺産相続を主張した事で兄ク・ホインさんと争う事になります。
韓国国内では、母親への批判が殺到し、日本でも話題になりました。

父親
ク・ハラさんの父親は、2000年頃に母親が家を出て行ったタイミングで服毒自殺を図った事があるそうです。
理由はわかっていませんが、母親が家を出て行った事がショックだったのでしょうか・・。母親は家を出る前から浮気をしていたと言われているので、我慢の限界だったと思われます。
幼かったク・ハラさんや兄ク・ホインさんにとっては、トラウマが残るほどのショックだったと思います。
子供の事まで考えられなかったのは、それほど追い込まれていたのでしょうか。
その後父親は、家族の為に各地の工事現場で働いていた事で忙しく、子供たちは、親以外の親族(祖母や叔母家族)と暮らしたそうです。
兄ク・ホインさんは、インタビューで父親の事を下記のように話しています。
兄妹とは一定の距離があったが、「それでも親として責任を取ろうとした人」
父親は、幼少期から多くの愛情をそそげなかったとし、ク・ハラさんが亡くなった後、自分の相続分を全額兄ク・ホインさんに譲ったと言われています。
兄:ク・ホイン
ク・ハラさんには2歳年上の兄ク・ホインさんがおり、現在37歳程だと思われます。(2025年8月現在)

2018年3月3日に結婚(当時29歳)、2020年8月10日に娘のハリンちゃん(現在5歳)が誕生しています。

かわいいね♪
結婚した翌年に、ク・ハラさんは他界し、その翌年にハリンちゃんが生まれています。もう少しとどまっていてくれたら・・と思うと、兄ク・ホインさんは悔しさが残ります。
「ク・ハラ」という名前は、韓国語で言うと「救う」という意味があるそうです。
兄ク・ホインさんは、「ク・ハラの名前を残したい」そして「自分たちのような人達を救いたい」そんな思いで、「ク・ハラ法」を2024年に成立させました。
2019年11月、ク・ハラさんの死後、彼女を幼少期に捨てた母親が遺産の50%を要求。韓国の当時の法律では、「血縁上の親」であれば相続権があるため、養育放棄した母親も遺産の半分を請求できるという状況に反対した兄ク・ホインさんが「不当な相続を防ぐ法改正」を訴え、成立させたのが「ク・ハラ法」です。
兄妹の絆の深さを感じますね。
祖母・叔母家族
兄妹を育ててくれた祖母。ク・ハラさんは、アイドルとして成功した際に、祖母に、数千万円する高層マンションをプレゼントしたそうです。
しかし、心の拠り所だった最愛の祖母は、2011年に他界しています。
ク・ハラの幼少期~学生時代


祖母と叔母家族に育てられた
ク・ハラさんと兄のク・ホインさんの幼少期は、母親が出ていき、父親は自殺未遂、生活はギリギリで祖母や叔母に育てられました。
親戚の家に居候している為、顔色をうかがいながら暮らし、家に友達を招待することもできなかったと話します。
その為、2人の夢は常に ‘マイホーム’を持つことだったそうです。
兄ク・ホインさんは、ク・ハラさんについて下記のように話しています。
「男の私より幼い妹がもっと傷ついていた。時々、過去について話すたびに、幼年時代はいつも辛くて寂しかったと言っていた」
祖母や叔母に育ててもらった事は感謝しつつも、父親が側にいない、母親に捨てられた幼少時代は、親の愛情不足だった事は確かです。
うつ病の根源は、母親の愛情不足からきているのがわかりますね。
全州芸術高校に進学するも転校
幼い頃から歌と踊りが好きだったク・ハラさんは、全州芸術高校に進学しました。
父親は乏しい収入の中で教育費を仕送りしたが、学費が高すぎてク・ハラさんはほかの学校へ移ったそうです。
その頃兄ク・ホインさんは、ガソリンスタンドの住み込み店員をしながら学校へ通っていたそうです。
実際のク・ハラの姿
表では「KARA」としてキラキラ輝いていたク・ハラさん。実際はどんな女性だったのでしょうか。
兄ク・ホインさんは下記のように話しています。
ステージを降りた妹は、同じ年頃の女の子たちと同じです。 おいしいものが好きで、友達とおしゃべりしたり、ゲームにはまると一日中ゲームばかりする、ごく普通の20代です。 妹の家にはカラオケの機械がありました。 しばらく妹が歌の練習にすっかりはまっていたので聞いたら自分は一番やりたいことが’歌の上手いこと’だと言いました。 妹が歌手ではあるが歌唱力が足りないという話をよく聞いたじゃないですか。 それで、 人々に認められて愛されたいという気持ちが大きかったからでしょう。 職業柄、多く知られた芸能人だったという点以外には、私たちが考える20代とあまり変わらなかったです。
表では芸能人のク・ハラさんでしたが、実際は普通の20代女性と変わらなかったんですね。
さらに、兄ク・ホインさんは、ク・ハラさんについて「かわいそうな妹」と表現していました。
私にはただ平凡でかわいそうな妹に過ぎませんでした。 妹を見ているといつも心が痛んだ。幼い頃から家族から愛されず、育って満たされない心の空いた空間が多かったし…。 「過去についてお互いに話をしているうちに、妹がどれほど愛が欲しい子だったかを知るようになり、妹を見ると哀れで心が痛むことが多かったです。」
兄ク・ホインさん自身も辛い思いをしたが、妹をとても気にかけていたのが言葉から伝わってきます。
「ク・ハラ色」の収益を子供達へ
兄ク・ホインさんは、ク・ハラさんの遺品を整理していたところ、彼女自身が描いた絵を見つけたそうです。
絵を描いていたク・ハラさんの気持ちをファンの皆に届ける為に、2011年「ク・ハラの色」というタイトルで彼女の絵をオークションにかけ、ひとり親家庭で育つ日本の子供たちをサポートするために、オークションから得た収益の一部をFlorenceという非営利団体に寄付するという企画をinstagramで発表していました。


ク・ハラさんと兄ク・ホインさんは、幼い頃、ひとり親家庭で育ち、冷たくて厳しい現実を耐えなければならなかったため、すごく寂しく、幼い子供たちには厳しすぎることだったと話しています。
2人のようなひとり親家庭の苦しんでいる子供たちに何か役に立ちたいと思い、このような絵のオークションを企画したようです。
まとめ
母親:ク・ハラ9歳の時に家を出ていき、2006年で離婚、親権放棄。約17年間連絡なしだったが、亡き後に遺産を相続すると要求。
父親:母親が出て行った頃、自殺未遂。各地の工事現場で働き、生活が苦しい日々を過ごす。
兄(ク・ホイン):ク・ハラの2歳年上で現在37歳程。2018年3月3日に結婚、2020年8月10日に娘(5歳)が誕生。遺産相続で母親と対立した事で、扶養義務を果たさなかった親の相続権を剥奪する法案ク・ハラ法を2024年成立させた。
祖母・叔母家族:母親が出て行った後、育ててくれた。祖母は2011年に他界。
壮絶な幼少期だったク・ハラさんですが、唯一良かった事は兄ク・ホインさんが側にいてくれた事ではないでしょうか。
妹の死を無駄にしないように戦い続ける兄ク・ホインさんとの絆は、これからもずっと続いていくのだと思います。
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