2025年世界陸上で「眠れる森の美女」として注目を集めているヤロスラワ・マフチフさん。
そんな彼女はウクライナ出身でロシアとの戦争などがあり、アスリートとして大変苦労されてきました。
そんな彼女の幼少期から現在に至るまでの生い立ちを記事にしたので最後まで見て下さいね。
ヤロスラワ・マフチフ選手のプロフィール
名前:ヤロスラヴァ・オレクシイヴナ・マグチフ(Магучіх Ярослава Олексіївна)
生年月日:2001年9月19日(23歳)
出身:ウクライナ-ドニプロペトロフスク
身長:180cm
体重:55kg
マフチフ選手の幼少期はどんな子供だった?
マフチフ選手の幼少期は非常に活発で落ち着きのない少女だったそうです。
そのため、空手をやっていた姉のアナスタシアが彼女にスポーツを教えてくれたそうです。そして、マフチフ選手は様々なスポーツに挑戦し、自分が何が好きで何が面白いのかを探り、陸上競技に落ち着いたそうです。
実はスポーツ以外にも、マフチフ選手には様々な趣味があり、インタビューでは「私は多才な子供でした。絵画教室に通ったり、歌ったりしていました。スポーツもありましたが、すぐにはのめり込めませんでした。結局、他のことは全部やめました。たぶん2015年か2016年頃です。」だそうです。
つまり2016年、大体15歳くらいまではスポーツというよりかは絵を書くことに集中していたんですね。
幼少期は色々な事に興味があり、行動していたんですね。
絵に関しては描くのが好きで、コンクールにも出場していたとの事です。
「成績はよかったです。色々なコンクールにも行きました。両親も一緒に行きました。両親は私を応援してくれました。ちなみに、絵は家に置いてあります。抽象的なスタイルで、自分のビジョンを持って描いていました。いつか、もしかしたら、これらの作品を披露する時が来るかもしれません。展覧会を開くつもりです」との事です。
どんな絵を書くのでしょうか?いつかの展覧会が今から楽しみですね。



幼少期から既に美人ですね。こんなに顔が出来上がった子供だったので今はもっと美人なのも頷けます。
マフチフ選手の高校時代は?
2016年の15歳あたりから陸上の走高跳に徐々に集中していきます。
実は2016年まではあまり陸上に集中せず、絵を書いていたそうですが、11歳の時からコーチとトレーニングを始めています。これが彼女の走高跳選手としての始まりです。
よって、絵に集中していたとはいえ、トレーニングは積んでいたのですね。

7月、ハンガリーのジェールで開催されたヨーロッパ陸上競技選手権ジュニア部門で、マフチフ選手は女子走高跳びで1.86mを記録し優勝しました。
その後、ヤロスラヴァは3回目の試技で1.94mを記録し、これがヨーロッパジュニア選手権の記録となった。当時のこの種目のジュニアの世界記録は1.96mです。

このあたりから、11歳から続けている走高跳選手として才能が開花し始めてきました。
2019年18歳の5月3日、カタールのドーハで行われたダイヤモンドリーグシーズン 第1ステージで、マフチフ選手は走高跳びで1.96mの自己ベストで優勝し、ダイヤモンドリーグ大会史上最年少の優勝者となりました。
同年のドーハ世界陸上競技選手権大会ではマフチフ選手は3位となったとなり、確実にキャリアを積んでいきます。
また同年の世界選手権ではロシアのマリア・ラシツケネとの試合で銀メダルを獲得し、ジュニア部門の新世界記録2.04mを樹立しました。
プライベートでは高校生らしく、かなりはっちゃけて楽しんでいたようですね。

その後の活躍は?
マフチフさんはその後、大学には進学せずにプロアスリートとして歩んでいきます。
ヨーロッパ選手権や世界選手権で金メダルや3位以内に入賞するなど、選手としてどんどん実績を残していきました。
2021年には東京オリンピックで銅メダルを獲得しますが、翌年の2022年2月24日にロシアとウクライナが戦争を始めてしまいます。
戦争後は以下のように語っています。
ロシアとウクライナとの開戦3週間後。
これにより、オリンピック銅メダリストのトレーニングは中断された。「とても大変でした。私たちはまずフメルニツキーに移りました」と、マフチクは彼女自身、そして多くのウクライナ人にとって世界が変わった、2月24日以降の日々を振り返った。
「世界選手権に出場する少人数での代表トレーニングキャンプがあったんです。合宿の途中で、国境まで移動するように言われました」
「移動は3日間。結局、セルビアに到着し、サイレンも爆音もない中でトレーニングを開始しました」
マフチクは、しばらく家に帰れないことを理解していた。「一番つらかったのは、家族や父に別れを告げることでした」と、彼女は言う。
「でも、国際的なレベルで、自分の国のために戦い、パフォーマンスをし、ウクライナの存在を示さなければならないことに気がついたのです」
走高跳選手のマフチクにとって、この旅は決して楽なものではなかった。その道のりの長さもさることながら、頭の中を様々な考えが駆け巡った。危険から逃れるための長旅の間、彼女は自問自答していた。
「なぜ行くのか、いろいろと考えました」とマフチクは振り返る。「私は人道支援を始めたばかりでした。(しかし)ドニプロは(当時)比較的安全な地域だったので、ボランティアがたくさんいたんです。街が団結して、力になってくれました」
「なぜ自分が世界選手権に行くべきなのか、自分が競技に出場すべきなのかを考えました。そして、競技場こそ、私の仕事のフィールドであることを理解したのです。これは私の分野で、やれることで母国を守らなければならない。そして(この時)私は、自分の仕事ができる人は、それぞれの分野でできる限りのことをして母国を助けているのだと気づきました」
この環境下の中でもヨーロッパ選手権やパリオリンピックで金メダルを獲得しています。
本当につらい状況下でも結果を出し続ける姿にウクライナの国民も元気付けられていると思います。
家族構成は?
マグチフさんには両親と姉と妹が一人います。母親は学校で働いていました。幼少期は絵を描いたり、ダンスや音楽を楽しんだりしていました。
姉のアナスタシアさんはヨーロッパ空手選手権銀メダリストで茶帯保持者のという強者です。
お姉さんは既に結婚しており子供もいます。また、マグチフさんは婚約者がいます。

写真は婚約者のナザール・ステパノフさんとステパノフさんのお父さんとの3ショットです。
お父さんはタチアナ・ステパノフさんでマグチフさんのコーチになります。
婚約者のナザール・ステパノフさんについてはこちらの記事で詳しく書いているのでご覧下さい。

こちらがマグチフさん家族の写真となります。

まとめ
・幼少期は非常に活発で落ち着きのない少女
・絵を書くことが得意でコンクールに出展する腕前
・11歳からコーチを付けて走高跳選手としてキャリアをスタート
・15歳くらいから本格的に協議に集中し始める。ダイヤモンドリーグ大会史上最年少の優勝を果たす。
・その後は戦争の影響もありながらも協議を続け、東京オリンピックでは金メダルに輝く。
・同時期に付き合っていた彼氏からプロポーズを受けて婚約。
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