2025年の24時間のチャリティーマラソンで無事に完走した横山裕さん。
そんな、横山裕さんは幼少期、ご両親の離婚、再婚や母の急逝といった壮絶な出来事がありました。
ご両親であるお父さん、お母さんはどんな人だったのでしょうか?
この記事では横山裕さんのご両親について徹底調査したので最後まで見て下さいね。
横山裕の家族構成は?
横山裕さんは1981年大阪市此花区に生まれ、3歳で両親が離婚、5歳で母親が再婚という複雑な家庭環境の中で育ちました。
3歳の時に両親が離婚し4歳からしばらくの期間、祖父母に育てられています。
両親の離婚から2年後、つまり横山裕さんが5歳の時に母親が再婚し、また一緒に暮らせるようになりました。
しかし、いきなり「父親」と呼べるわけないのに「お父さんと呼びなさい」と手を出されたこともあるそうです。
再婚後は6歳下と8歳下の弟が生まれています。
こんな複雑な状況下で横山裕さんの精神も悪化し、それを見かねた母親は祖父母に時々預けるようになったそうです。
そんな横山裕さんを大切にしてくれた祖父母は中学2年の時に亡くなってしまったそうです。
- 実母:シングルマザーとして3兄弟を養うも2010年急逝
- 実父:離婚以降は長らく不在、顔も覚えていない
- 義父:再婚相手、名字を授けるが関係は希薄
- 弟(二男):6歳下、税理士を目指す堅実派
- 弟(三男):8歳下、スポーツマンで兄思い
実父と義父はどんな人?
横山裕さんの人生には実父と義父、2人の父親が存在します。
実父とは幼いころに離別し顔を覚えておらず、義父とは名字を授かりながらも同居期間が短かったため結びつきが薄かったようです。
しかし、2人の父親の存在は、逆説的に母子の絆を強固にし「父親の代わりに自分が守る」という決意を強めさせました。
ここでは実父と義父がそれぞれ家族に与えた影響を比較し、横山さんの中でどのように整理されているのかを紐解きます。
項目 | 実父 | 義父 |
---|---|---|
在籍期間 | ~3歳頃 | 5歳~小学生 |
苗字 | 不明 | 横山 |
記憶 | ほぼ無し | 希薄 |
金銭的支援 | 不明 | 限定的 |
実の父親との再会エピソード
両親の離婚は横山さんが3歳のときで、当時の記憶はほとんど残っていません。
ところが成人後、テレビ業界での活躍が報道されるようになると実父側の親族から連絡が入り、顔も分からない父と再会する機会が訪れました。
横山さんは戸惑いながらも「母と弟を支える今の生活を壊さない」という一点を条件に再会を受諾。
食事の席で実父は「テレビ越しに息子を誇りに思っていた」と語り、横山さんは礼儀正しく感謝を伝えたといいます。
しかし頻繁な交流は望まず、以後は年賀状程度の距離感を保っているようです。
義父が与えた家族の支えとショックな出来事
義父は再婚当初こそ家族を養う存在でしたが、仕事の都合で単身赴任が続き、結果的に母子家庭に近い状況となりました。
横山さんが小学校中学年の頃、義父から突然「離れて暮らすことになる」と告げられ、家計は再び母の肩にのしかかります。
この出来事は少年だった横山さんに「大人を完全に信用できない」という不信感を残しましたが、逆に自立心を鍛える契機にもなりました。
義父は横山裕さんに対し中学校卒業後は高校には行かせずに働くことを強要していたそうです。
かなり義父に対しては不信感が強く未だに「あのオッサン」と呼ぶようです。
因みに義父はお母さんの癌が発覚した際に離婚しています。
テレビ番組で語った父への思いと現在の距離感
バラエティ番組『A-Studio+』出演時、父親の話題になると横山さんは「育ててくれたのは母と祖母」と率直に語りました。
同時に「父親を恨む気持ちはない、恨むほど覚えていないから」とも述べ、スタジオを静寂させたのです。
このコメントはファンの間で大きな反響を呼び、「過去の経験をバネにした強さ」に共感と称賛が集まりました。
現在も父親たちとは物理的・心理的距離を取りつつ、必要以上に関係を断つこともない“フラット”なスタンスを貫いています。
横山裕の母親はどんな人?
横山裕さんのお母さんについての生立ちについては今まで深く語られる事はありませんでしたが、横山裕さんの事をとても愛していたと思います。
お母さんに関するエピソードとしては、横山裕さんが中学校2年生の時にお母さんがジャニーズ事務所に履歴書を送ったところ、なんと通過したそうです。
よほど、自慢の息子に自信があったのでしょう!横山裕さんの事を考えての行動だったと思います。
母親の病気が発覚し、義父とは離婚
横山裕さんが23歳となり関ジャニとしてデビュー後、なんとお母さまに癌が発見されてしまいます。
この病気がどうやら原因だったのか2度目の離婚をすることとなりました。
お母さまは今まで子供3人を精一杯育て、癌が分かった際に離婚してしまう義父もどうかと思いますが、横山裕さんは元々、義父をあまり良く思っていなかったので結果、離婚してくれ良かったかもしれませんね。
母親の死因と横山裕が看取った最期の瞬間
横山裕さんのお母さまですが、残念ながら2010年5月16日、横山裕さんが長野公演中に急逝しました。
死因はくも膜下出血と報じられ、享年50歳という若さでした。
長年一家を支えてきた母の突然の旅立ちは、横山さんに計り知れないダメージを与えました・・・
コンサートのリハーサル中に電話を受けた横山さんは、一度はステージで笑顔を見せながらも内心は動揺を隠せなかったと言います。
楽屋に戻るとスタッフの車で病院へ直行し、到着からわずか数分後に母の心拍が停止。
医師から「家族の声が最後の刺激になるかもしれない」と告げられ、名前を呼び続けたものの帰らぬ人となりました。
その場で「ありがとう」と何度も繰り返した横山さんの姿は、同席した弟たちの心に深く刻まれ、現在も家族団らんの折に語り継がれているそうです。
母の存在
幼少期の横山さんにとって、母親は生活の要であり精神的な支柱でした。
祖父母の協力を得ながら、深夜までパートと内職を掛け持ちして家計を支える母の背中を見て育ったことで「自分も稼がなければ」という責任感が芽生えます。
また、年の離れた弟たちは時にわんぱくで手が掛かる存在でしたが、兄としての役割意識を強めるきっかけにもなりました。
母が留守の時間は兄弟3人で簡単な料理を作ったり、団地の階段でキャッチボールをしたりして絆を深め、貧しくても笑いの絶えない家庭を築いていました。
この「弱い者を助ける」という価値観は、のちにバラエティ番組で共演者を温かくフォローする横山さんの姿勢にも通じていったのではないでしょうか。
まとめ
<家族構成詳細>
- 実母:シングルマザーとして3兄弟を養うも2010年急逝(くも膜下出血、享年50)
- 実父:離婚後は不在、顔を覚えていない
- 義父:名字を授けるが関係は希薄、単身赴任が多く母子家庭に近い状況
- 弟(二男):6歳下、スポーツマンで兄思い
- 弟(三男):8歳下、税理士志望
<実父・義父について>
- 実父:幼少期に離別、成人後に再会も年賀状程度の距離感
- 義父:小学校中学年で単身赴任、信頼感に不信感を残すが自立心を育む
- 現在:両者ともフラットな距離感を保つ
<母親について>
- 2010年5月16日に長野公演中に急逝しました。死因はくも膜下出血
いかがでしたでしょうか。
バラエティでは、とても明るいイメージの横山さんですが、こんな壮絶な過去があったなんて知らない方も多かったはずです。
「母や弟たちがいなければ自分は何者にもなれなかった」と話すほど家族を大切に想っている横山さんは、これからもファンやメンバーを大切にし、飛躍していくと思います。
これからも応援しています!


コメント